近江八幡市安土町: 沙沙貴神社

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概要・歴史・観光・見所
沙沙貴神社(近江八幡市)概要: 沙沙貴神社の創建は不詳ですが古代、当地方の豪族として支配していた沙沙貴山君が祖神である大毘古神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社で、古くから沙沙貴33郷70余ケ村(旧蒲生郡・安土・金田・馬淵・武佐・平田・桜川・朝日野)の総鎮守、常楽寺、上出、中屋、小中、慈恩寺の氏神ととして広く信仰されてきました。中世に入ると近江源氏佐々木氏が氏神(祖神である宇多天皇と敦實親王の御霊が勧請されました。)として崇敬社し「佐佐木源氏発祥之地」などと呼ばれるようになり、社紋にも佐々木家の家紋である四つ目結いを掲げることが許されています。格式も高く元応元年(1319)に正二位、貞和5年(1349)に正一位に列し最盛期には社領800石を領し社運も隆盛しましたが永禄11年(1568)に観音寺城が落城し佐々木家の後裔である六角氏が没落すると庇護者を失い一時衰微します。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には徳川家康が戦勝祈願を行い、その後は佐々木氏を祖とする京極氏が庇護し、社領100石を安堵、慶長9年(1604)に鰐口を奉納、天保年間(1830〜43)に火災で社殿が焼失すると、移封され丸亀藩主となっていた京極高明が弘化5年(1848)に社殿を再建しています。近代に入ってもそ後裔である三井家(旧財閥)や乃木希典(軍人:日露戦争で指揮、佐佐木高綱の末孫)なども崇敬し数多くの縁の品々が奉納され、明治9年(1876)に郷社、大正9年(1920)に県社に列し神饌幣帛料供進社に指定されています。祭神は少彦名神(鷦鷯郷の祖神)。配神は大毘古神(沙沙貴山君の祖神、四道将軍)、仁徳天皇(鷦鷯尊)、宇多天皇(宇多源氏の祖神)、敦實親王(佐佐木源氏・近江源氏の祖神)。

沙沙貴神社の文化財
 ・ 楼門−延享4年−入母屋、茅葺、三間一戸、八脚楼門−滋賀県指定文化財
 ・ 拝殿−弘化5年−入母屋、銅板葺、桁行3間、梁間3間−滋賀県指定文化財
 ・ 本殿−弘化5年−五間社流造、銅板葺、桁行5間、梁間3間−滋賀県指定文化財
 ・ 権殿−弘化3年−三間社流造、銅板葺、1間向拝付−滋賀県指定文化財
 ・ 東回廊−延享4年−切妻、桟瓦葺、延46間、梁間1間−滋賀県指定文化財
 ・ 西回廊−延享4年−切妻、桟瓦葺、延46間、梁間1間−滋賀県指定文化財
 ・ 手水舎−天保14年−入母屋、銅板葺、梁間1間、梁間1間−滋賀県指定文化財
 ・ 中門−弘化5年−切妻、銅板葺−滋賀県指定文化財
 ・ 透塀−弘化5年−切妻、桟瓦葺、延長33間(約60m)−滋賀県指定文化財
 ・ 沙沙貴神社境内図−寛永11年−滋賀県指定文化財
 ・ 彌陀六の石燈籠−鎌倉時代−近江八幡市指定文化財

沙沙貴神社
沙沙貴神社
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