日野町(歴史)概要: 日野町に鎮座する馬見岡綿向神社と比都左神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社で当時から開けていた地域と思われます。平安時代には檜物庄と呼ばれこの時には既に檜物製造が行われある程度の知名度があったと思われます。藤原秀郷の6代後裔である惟俊が蒲生郡を賜わり蒲生氏を名乗ると、長きに渡り蒲生氏の支配が続き、室町時代には近江国守護である佐々木氏(六角氏)に従属していました。
戦国時代に入り、織田信長が近江に侵攻してくると織田家に属し家臣となった氏郷は次第に頭角を現し、信長の娘冬姫との婚姻し地位を確立し中野城の築城や城下町の整備、檜物製造など地域産業の育成などを行いました。氏郷は天正10年(1582)の本能寺の変で信長が明智光秀の謀反で倒れると羽柴秀吉に従い、その後数々の合戦に従軍して大功を挙げ、伊勢長島(三重県桑名市)12万石に加増され、さらに天正18年(1590)の小田原の役後、会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)城主92万石の大大名になりました。江戸時代に入ると市橋氏が1万7千石で日野に入り仁正寺藩(西大路藩)を立藩、石高は低かったものの、城下町は近江日野商人と呼ばれる商人達が活躍し多くの豪商を輩出しています。
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