星ヶ崎城(鏡の宿)概要: 星ヶ崎城の築城年は不詳ですが、室町時代中期に近江守護職佐々木家家臣鏡氏が築いたのが始まりとされています。鏡氏は、佐々木定綱の2男定重の後裔とされ、鏡の地に配されたことから鏡氏を称するようになりました。承久の乱の際に鏡氏は断絶しましたが京極家の左衛門尉貞氏が鏡の名跡を継ぎ、佐々木家の有力家臣として確立し旗頭を勤めるまでなりました。戦国時代に六角氏が織田信長により滅ぼされると衰退しその後は織田家に仕えたそうです。城跡は案内板によると「 星ヶ崎城跡は、鏡山から派生する兵陵先端尾根頂上部に位置し、長さ35m、高さ1〜2mで3〜5段の石垣と、反対側に少しの石垣が尾根の南西部上に残っています。周囲の地形状況から、この石垣が残っている所は、城の「主郭」部分にあたり規模は現状から、幅約20m×縦約35mと推測されています。 竜王町教育委員会 」とあります。
|