柏原宿(米原市)概要: 柏原宿は中山道の宿場町で江戸日本橋から数えて61番目に位置しました。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣1軒、脇本陣1軒、問屋6軒、旅籠22軒、家屋344軒、人口1468人あり宿場の長さは13丁(約1420m)と中山道の宿場町では10番目の長さで、宿場の規模として4番目の大きさを誇りました。人口も周辺の宿場町の中では加納宿(岐阜県岐阜市:加納城の城下町を兼ねていた。)、高宮宿(滋賀県彦根市:彦根城下と多賀大社の参道が延びていた。)に次ぐ多さでした。古くから交通の要衝として知られ源頼朝をはじめ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も柏原宿を宿泊地として利用し江戸時代には柏原御殿を造営され2代将軍徳川秀忠や3代将軍徳川家光が上洛に際しての宿泊や休憩に利用しています。本陣は南部辰右衛門が代々世襲し屋敷は526坪、建坪は138坪、表門や式台付きの玄関があり江戸時代末期には皇女和宮も宿泊で利用しています。その際、新しく建て直されたとされ明治に入り開文学校として利用された後に南宮大社の宮司邸宅として移築されました。脇本陣は南部源右衛門が代々世襲し規模は本陣より一回り小規模で屋敷228坪、建坪73坪。周辺には古寺も多く、近江守護大名として中世当地を支配した京極家の菩提寺徳源院や織田信長や豊臣秀吉が宿泊地として利用した成菩提院などがあり往時は30棟以上の寺院がありました。
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