大津宿(中山道)概要: 大津宿は中山道、東海道の宿場町で中山道の江戸日本橋から数えて69番目、東海道の53番目にあたりました。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠71軒、家屋3650軒、宿場の長さは東西16町51間(約1838m)、南北1里19間(約3962m)で中山道、東海道の宿場町で最大の規模を持ちました。大津宿は日本を代表する両街道の宿場町、膳所藩の城下町、琵琶湖舟運の港町、京都と近江国境、背後に逢坂山が控えるなど様々な要因から大きく発展しました。又、比叡山延暦寺や石山寺、三井寺(園城寺)、日吉大社、建部大社など有力社寺が点在する宗教都市でもあり多くの参拝者が大津宿を利用しました。本陣の内の1つは代々大塚嘉右衛門家(大坂屋)が世襲し広大な敷地には格式の高い建物が建ち並び特に3階の楼閣からの眺めは抜群で四季を通じて琵琶湖の風景が楽しめたと伝えられています。文久元年(1861)皇女和宮が降嫁の際は2日に渡り大津宿本陣で宿泊し、明治元年(1868)明治天皇行幸の際にも本陣を利用しています。
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