醒井宿(竜王町)概要: 醒井宿(滋賀県米原市)は中山道の宿場町で江戸日本橋から数えて61番目にありました。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒、家屋138軒あり本陣は江龍家が担っていました。宿場の長さは8町2間(約876m)で東の見附には枡形が設けられていました。江戸時代には将軍に献上する御茶を運ぶお茶壺道中の宿泊で醒井宿を利用し、宿所である越後屋は門や書院を設けて、特に「お茶壺本陣」と呼ばれました。伝説の地でもあり、日本武尊が伊吹山の荒神を討伐の際、思わぬ苦戦を強いられ正気を失いながら退き、この地の霊水を一口飲むと正気に戻り無事に尾張に落ち延びる事が出来たと伝えられ、この伝説から霊泉を居醒泉と名付けられ醒井の地名の由来になりました。文化2年(1805)に編纂された「木曽路名所図会」によると醒井宿には「三水四石」と呼ばれる名所があり季節に関わらず温度が変わらない清水が宿場を流れていると記されています。醒井三水とは上記した「居醒の清水」と西行法師縁の泡子塚伝説が伝わる「西行水」、浄蔵法師により開かれた「十王水」の事で、醒井四石とは居醒の清水の池の中にある日本武尊が腰を掛けた「腰掛石」、日本武尊の愛馬の鞍を掛けた「鞍懸石」、雄略天皇の勅使が霊泉で見つけた3尺の亀を居醒の清水を飲ますと石化した「蟹石」、加茂神社の祭神が降臨した「影向石」(現在所在不明)を指しています。醒井宿には問屋(米原市指定文化財)や明治天皇行在所となった屋敷の表門などが残り良好な町並みを継承しています。
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