朽木宿(鯖街道:宿場町)概要: 古くから日本海側の若狭と京都を結ぶ街道沿いの町として知られていました。宿場として成立した時期は不明ですが室町時代には周辺地域の物資の集積地となり商業的な発展が見られていたそうです。交通の要衝でもあり元亀元年(1570)には浅井・朝倉勢に挟撃され壊滅の危機にあった織田信長は朽木氏を頼り朽木街道から無事京都へ落ち延びました。その際、朽木氏は宿場に程近い円満堂で信長を接待し、接待役だった長谷川茂政は信長から皮袴と銀箸を賜っています。朽木氏は当地を治める国人領主でしたが信長と豊臣秀吉に仕える事で大名となり、関ヶ原の戦いでも東軍に内通していた事で一定の領地が安堵されています。元綱の死後領地が子供達に分知され、当地には宣綱が6千4百70石が与えられ交代寄合の旗本として陣屋を設けられました。朽木宿は16世紀初期の記録によると商家が17軒あり中には問屋や馬借など現在でいう運送業者が存在していましたが、江戸時代に入ると領主朽木家の陣屋町、鯖街道の宿場町として当地域の行政、商業の中心地として発展し商家、医者、宿屋、風呂屋、質屋、染物屋、駕籠かきなどが軒を連ねていました。明治時代以降、交通網の発展により次第に重要性は失われましたが現在でも屈曲した街路や用水路、点在する町屋など当時の雰囲気が残されています。
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