勝楽寺(甲良町)概要: 慶雲山勝楽寺は滋賀県犬上郡甲良町正楽寺に境内を構えている臨済宗建仁寺派の寺院です。勝楽寺の創建は建武元年(1334)、佐々木高氏(京極道誉)が雲海和尚(京都東福寺)を招いて開山したのが始まりとされ寺号は高氏の戒名「勝楽寺殿徳翁導誉」に起因しています。
佐々木高氏は境内背後の裏山に勝楽寺城を築き居城とすると鎌倉幕府滅亡から室町幕府成立にかけて足利尊氏の側近、四職家として尽力し大きな影響力を持つようになり、一方、茶道、連歌、華道、香道、能楽など文化面にも精通しバサラ大名(婆沙羅大名)の異名がありました。近江国守護職佐々木家の庇護もあり寺運も隆盛しますが、元亀元年(1570)の織田信長の兵火により多くの堂宇が焼失し一時衰退し、正保年間(1644〜1648年)に彦根藩主井伊家により再興されています。
勝楽寺境内正面にある山門は室町時代に勝楽寺城の城門として建立されたもので切妻、桟瓦葺、一間一戸、六脚門、唯一兵火での火災を免れた貴重な建物とされ甲良町指定文化財に指定されています(天明年間:1781〜1788年に勝楽寺城の跡地から現在地に移築)。寺宝である木造大日如来坐像(像高92cm)は高氏の持仏で、藤原時代に恵心僧都が彫り込んだと伝えられるもので国指定重要文化財に指定されています。
佐々木道誉画像は貞治5年(1366)に高氏(道誉)の3男高秀描き高氏自ら賛を筆したもので国指定重要文化財に指定されています。境内には佐々木道誉の宝筺印塔(墓石)や、信長の兵火の際、大日如来を隠した場所から水が湧き出た大日池、無数の石仏があります。山号:慶雲山。宗派:臨済宗建仁寺派。本尊:十一面観音。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-甲良町・甲良町教育委員会
・ 現地案内板-正楽寺郷づくり委員会
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