甲良町・歴史・観光・見所

  滋賀県:歴史・観光・見所(ホーム)>甲良町
滋賀県・見所
 ・ 大津市
 ・ 湖南市
 ・ 近江八幡市
 ・ 東近江市
 ・ 安土町
 ・ 甲賀市
 ・ 日野町
 ・ 彦根市
 ・ 愛荘町
 ・ 甲良町
 ・ 豊郷町
 ・ 多賀町
 ・ 米原市
 ・ 高島市
 ・ 長浜市
 ・ 大津市坂本
 ・ 野洲市
 ・ 竜王町
 ・ 守山市
 ・ 草津市
 ・ 栗東市
 ・ 城郭
 ・ 神社建築
 ・ 寺院建築
 ・ 古民家建築
 ・ 近代洋風建築
 ・ 北国街道
 ・ 中山道
 ・ 鯖街道
 ・ 東海道
 ・  
 ・  
甲良町・歴史・観光・見所
甲良町概要: 甲良町は甲良親王が開いた地域とされ、地名もこれに因んでいると云われています。中世は近江源氏佐々木道誉が勝楽寺城を本拠としました。道誉は鎌倉時代末期から南北朝時代の武将で、鎌倉時代は幕府執権の北条高時に御相供衆として仕え、倒幕の際は足利尊氏に与し大功を挙げています。南北朝時代も尊氏の有力家臣として重きを成し、室町幕府成立にも大きく貢献し最盛期には若狭国・近江国・出雲国・上総国・飛騨国・摂津国の守護職を担い大きな影響力を持ちました。又、文化的も連歌、立花、茶道、香道、笛、、近江猿楽など興隆に尽力し婆沙羅大名としても名を馳せました。その後、佐々木氏の後裔である京極氏が治め、京極氏が衰退すると浅井氏の所領となり、織田信長の近江侵攻により織田領になっています。又、出雲の大名で中国地方を席巻した尼子氏は、京極氏が出雲国の守護職を担った際、その一族が土着して尼子氏を興しています。戦国大名の藤堂高虎は近江国犬上郡藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町在士)出身で、当初は浅井家に仕えていましたが、天正元年(1573)に浅井家が織田信長により滅ぼされると転々とし、その後豊臣家(羽柴家)に仕え、大名家にまで出世しています。関ヶ原の戦いでは大恩があった豊臣家を裏切り東軍に与し今治藩(愛媛県今治市)20万石が与えられています。特に御殿や城郭の作事を得意とし亀山城や、江戸城、日光東照宮の普請奉行を歴任し最終的には津藩(三重県津市)32万石まで加増されています。甲良町は江戸時代に入ると彦根藩に属し、甲良町出身の甲良豊後守宗廣は日光東照宮(栃木県日光市)を造営するなど甲良大工の祖となっています。
  スポンサーリンク
 
甲良町
甲良神社
甲良神社
甲良神社
勝楽寺
勝楽寺
勝楽寺
西明寺
西明寺
西明寺
甲良豊後守
甲良豊後守宗広記念館
宗広記念館
 
白
 
住宅設計

 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「滋賀県:歴史・観光・見所」は「滋賀県の歴史」、「郷土資料辞典−滋賀県」、「日本の城下町−近畿」、「城郭と城下町−近畿」、「東海道」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。