米原市: 成菩提院

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概要・歴史・観光・見所
成菩提院(米原市)概要: 寂照山成菩提院円乗寺は滋賀県米原市山東町柏原に境内を構えている天台宗の寺院です。成菩提院の創建は弘仁6年(815)、伝教大師最澄が巡錫の際、この地に草庵を設け一時留まったのが始まりと伝えられています。天台宗の学問所(談義所)として寺運も隆盛し領主京極家(近江源氏の後裔である佐々木氏の一族)からの庇護もあり大きな影響力を持ちました。嘉暦元年(1326)、白山平泉寺(福井県勝山市※現在の平泉寺白山神社)の兵火により多くの堂宇が焼失し衰退しましたが応永2年(1395)、室町幕府3代将軍足利義満の招きにより貞舜法印(比叡山延暦寺西塔)が再興しています。

成菩提院の境内は、古代の東山道、近世の中山道の街道沿いにあったことから戦国時代には織田信長の宿所となり、永禄11年(1568)の浅井長政との会見や、足利義昭を擁しての上洛の際に宿泊し、寺領150石を寄進しています(江戸時代には柏原宿が開宿しています)。豊臣秀吉も天正18年(1590)に発生した小田原の陣で関東に進軍した際や、文禄2年(1593)に宿泊した記録が残っています。秀吉の家臣である石田三成が佐和山城(滋賀県彦根市)に配されると当地域も三成の支配下に入り「十三ヶ条掟書」が発布されています。

慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いの際には小早川秀秋が合戦前後に宿泊、合戦後は徳川家康から兵糧で余った米と陣で利用した古材、寺領10石(合計160石)を寄進され、堂宇の修復が行われた事から成菩提院は東軍(徳川軍)で大きな役割を果たしたとも云われています。最盛期には天海大僧正が住職となり末寺64ヶ寺、僧103人、檀家237軒を擁していました。山号:寂照山。院号:成菩提院。寺号:円乗寺。宗派:天台宗。本尊:十一面観世音菩薩。

成菩提院の文化財
・ 絹本著色浄土曼荼羅図−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 絹本著色聖徳太子像−室町時代−国指定重要文化財
・ 絹本著色不動明王二童子像−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 金銅雲形孔雀文馨−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 絹本著色普賢十羅刹女像−南北朝時代−滋賀県指定文化財
・ 兜卒天曼荼羅図−南北朝時代−滋賀県指定文化財
・ 大般若経(600帖)−平安時代−滋賀県指定文化財

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-米原市教育委員会
・ 現地案内板

成菩提院:写真

成菩提院
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