岩屋善光堂(米原市)概要: 岩屋善光堂の創建は推古天皇の御代(554〜628年)、日頃から熱心に仏教の教えを信じていた信濃の麻績の里(現在の元善光寺:長野県飯田市)の住民本多善光の霊夢に阿弥陀如来の化身が立ち三尊像が出現する場所を告げました。善光は御告げに従い難波の堀江で探しみると水中から金銅造阿弥陀三尊像が出現しました。善光は像を背負い故郷である信州に帰る為、琵琶湖を船で渡りこの地まで辿り着くと余りにも景観が素晴らしく心地よくなった為、深い眠りに落ちました。すると再び霊夢に三尊像の化身が立ち「私をこの岩窟に安置すると多くの人々を極楽浄土に導くことが出来るだろう。」との告げたことから、三尊像の分身となる仏像を安置して小祠を建立し、善光は村人達に仏像を安置した理由を告げ信州へと立ち去ったと云われています。
その後、三尊像は信濃善光寺(長野県長野市)の本尊となり、当地の仏像も無病息災・家内安全・諸願成就など同じ御利益があるとして多くの人達が参拝に訪れ開山者の本多善光から善光堂と呼ばれるようになりました。後に、この話を聞いた延暦寺の慈恵僧正が巡錫の折参拝に訪れ、自ら三尊石仏を彫り込み奉納したと伝えられています。御堂は入母屋、鉄板葺、懸造(舞台造)、桁行5間、梁間3間半。
懸造を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(善光寺縁起)
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