五個荘町金堂(農村集落)・町並み

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五個荘町金堂(農村集落)
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【五個荘町金堂】五個荘町金堂の発生時期は不詳ですが、聖徳太子が造営したと伝わる金堂廃寺跡や(地名の由来にもなっています)、聖徳太子が創建したという浄栄寺、条里制(古代から中世後期にかけて行われた土地区画)の跡などが見られます。江戸時代初期は天領→館林藩→天領と支配が変わり貞享2年(1686)に郡山藩(奈良県大和郡山市)領になるとその後は安定し元禄6年(1693)には陣屋が設置されました。その際、条里制の地割を利用して金堂陣屋を設けて、陣屋を取り囲むように勝徳寺、弘誓寺、安福寺の3ヶ寺を配し、さらにその外側に民家が敷地を構えました。当時の藩主本多家は近江国に51カ村4万石(全てを合わせると12万石)の領地があった事から金堂陣屋も重要視していたと思われます。享保9年(1724)に柳沢吉里が郡山藩に15万1千石で入封すると引き続き柳沢氏が金堂陣屋も管理し明治維新を迎えています。

五個荘町金堂は所謂、町屋建築が軒を連ねるような町並みや農家建築が点在する農山村集落でもなく、在郷町風の雰囲気がある集落で、各家も農業だけでは生活出来なかった事から、副業的に商売するものが発生し、これが江戸時代後期になると商圏を全国規模に広げる者が数多く出るようになり、所謂「近江商人」と呼ばれた豪商を何人も輩出する特異な集落となりました。このような経緯から五個荘町金堂集落は所謂商家町としては発展せず、豪商達は江戸や京都、大坂に店を構え、当地にはあくまで邸宅のみで本拠としています。その為、建物も農家建築とは大きく異なり、瀟洒な雰囲気が漂う建物が多く往時の繁栄が窺えます。

現在でも旧外村宇兵衛家や旧外村宗兵衛家、旧外村繁家住宅、旧中江家住宅などの屋敷が残され、中でも 弘誓寺の本堂は宝暦14年(1764)に建てられた貴重な建物として国指定重要文化財に指定され、表門、太鼓堂、庫裏、庫裏門は国登録有形文化財に登録されています。現在でも当時の町並みが色濃く残され国の重要伝統的建造物群保存地区と美しい日本のむら景観百選に選定されています。

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