醒井宿: 旧川口家住宅

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醒井宿(中山道)・旧川口家住宅
【 中山道 】中山道は幕府が整備した重要街道である五街道の一つで、江戸日本橋と京都三条大橋を結びました。太平洋側を縦断する東海道より距離が長く日数的にも多くかかりますが、中山道は東海道程、大きな河川を横切らなかった為、自然現象での交通障害が少なく比較的安定した計画が立てられました。中山道を参勤交代の経路とする大名家も多く、幕末には皇女和宮が江戸に降嫁した際にも中山道を利用しています。

【 醒井宿 】醒井宿は中山道の宿場町として成立した町で江戸日本橋から61番目にあたります。清水が豊富な地としても知られ、奈良時代に成立した日本の歴史書である「日本書紀」には伝説的な英雄である日本武尊が伊吹山に巣くう荒神の毒気を当てられ瀕死の状態になった際には醒井宿から湧き出る「居醒の清水」を飲んで正気を取り戻したと記載されています。その他にも「西行水」や「十王水」などがあり、現在でも宿場を縦断するように地蔵川が流れ独特の景観が見られます。

【 旧川口家住宅 】旧川口家住宅は滋賀県米原市醒井に位置する町屋建築で、17世紀中期から後期に建てられました。現在残されているのは一般的な町屋建築の主屋とは異なる、問屋場の部分です。問屋とは隣の宿場までの荷物や人を届ける為に馬や人足を提供する役職の事で、現在でいう運送会社に近い仕事を行い、宿場の中でも特権階級の者しか認めらなかった事から川口家の格式の高さが窺えます。問屋場には複数頭の馬や多くの荷物を扱った事から広い土間や作業場が設けられましたが、明治時代以降に問屋制度が廃止になると無用の長物となり多くの問屋場が失われた為、川口家住宅のように問屋場の旧態が維持されている事が極めて珍しく貴重な存在という評価を受けています。米原市指定文化財。

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