近江孤篷庵(長浜市)概要: 近江孤篷庵は滋賀県長浜市上野町に境内を構えている臨済宗大徳寺派の寺院です。近江孤篷庵の創建は承応2年(1653)、小室城主である小堀遠州の菩提を弔う為開いたのが始まりと伝えられています。小堀遠州は父親が豊臣秀長や秀吉に仕えていた事で幼少の頃から山上宗二や千利休などの文化人が比較的身近な存在で、文禄4年(1595)に伏見に移ると本格的に古田織部に茶道を師事し次第に名を馳せるようになります。
慶長9年(1604)に父親の死に伴い備中松山藩(岡山県高梁市)1万2千5百石、2代藩主に就任、慶長13年(1608)の駿府城普請奉行に就任し名を挙げると、その後も名古屋城の天守閣や、後陽成院御所造営、品川東海寺、水口城などの普請や全国様々な茶室の造営などを手掛け、作庭でも才能を発揮して多くの名園、庭園の造園に携わり、一方、茶人としても千利休、古田織部と共に日本三大茶人に数えられました。
元和5年(1619)に近江小室藩に移封となり、元和8年(1622)に近江国奉行、元和9年(1624)に伏見奉行に就任、正保4年(1647)に伏見奉行屋敷で死去、享年69歳。跡を継いだ小堀正之(宗慶)は承応2年(1653)に円恵霊通禅師(京都大徳寺の僧)を招き、遠州縁の京都大徳寺孤篷庵に因み近江孤篷庵と号しました。
近江孤篷庵は小堀家の菩提寺として庇護され寺運も隆盛し、宝永6年(1709)には4代政房が現在地に境内を移しています。6代政方は大番頭や伏見奉行などの要職を歴任したものの、不法に御用金を徴収し、さらに親しくしていた田沼意次が失脚すると政敵から粛清対象となり、天明8年(1788)に改易、当地に残された近江孤篷庵は庇護者を失った事で衰微し、明治時代以降には無住となり荒廃します。昭和40年(1965)に後裔である小堀定泰が再興し境内も整備され一角には小堀家歴代の石塔が建立されています。
孤篷庵庭園は宝永6年(1709)頃に作庭されたもので自然の地形を活かした池泉回遊式と枯山水で構成される名園とされ昭和36年(1961)に滋賀県指定名勝に指定されています。近江湖北二十七名刹霊場12番札所。びわ湖百八霊場38番札所。宗派:臨済宗大徳寺派。本尊:釈迦如来。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-滋賀県教育委員会
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