大津市: 建部大社

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概要・歴史・観光・見所
建部大社(大津市)概要: 建部大社の創建は不詳ですが景行天皇46年(316)、建部君(日本武尊の御子神:建部稲依別命)が神崎郡建部郷千草嶽に日本武尊の御霊を勧請したのが始まりと伝えられています。又は日本武尊の后神である布多遅比売命(父は近江安国造)が神勅によって神崎郡建部の郷に日本武尊の御霊を勧請されたのが始まりとも伝えられています。白鳳4年(675)に近江国府の守護神として瀬田の地に遷座し近くには近江国府が設置されていた事から国事の祭祀を司るようになり、天平7年(755)に孝徳天皇の勅願により大和一ノ宮の大和三輪大神神社から大己貴命の分霊を勧請しています。格式が高く日本三代実録によると貞観2年(860)に官社として列格し、貞観5年(863)に従五位下、類聚国史によると貞観10年(868)に従四位上、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に名神大社として記載され名実共に近江国一ノ宮として広く信仰されるようになりました。永歴元年(1160)、源頼朝が伊豆へ流される途中、建部大社に源氏再興の祈願をしたところ見事念願成就し建久元年(1190)に京都に上洛途中に当社を訪れ数多くの進物を奉納した事から、出世開運に御利益があるとして歴代為政者が崇敬庇護されました。戦略的な要衝である瀬田橋近くに境内を構えていた事から度々戦火に巻き込まれ多くの社宝、記録などが失われましたが、その都度、再興再建が繰り返され、江戸時代には歴代膳所藩主から庇護され慶安5年(1652)には当時の藩主本多俊次により社領20石が安堵され境内地として「境内東西六拾四間、南北三拾四間」と「宮山四町四分」が寄進されています。明治4年(1871)に社号を「建部神社」に改め県社に、明治18年(1885)に官幣中社に、明治32年(1899)に官幣大社に列しました。社宝である木造女神坐像(附:木造小女神坐像 2躯)は平安時代(12世紀頃)に彫像されたもので像高40cm余、檜材、一木内刳造、平安朝の女性貴族を模した髪が長く、卵形の顔、切れ長の目が特徴で国指定文化財に指定されています。境内にある石燈篭は文永7年(1270)に建立されたもので花崗岩、高さ219cm、同じく国指定重要文化財に指定されています。神門(神社山門)は切妻、桧皮葺、三間三戸。拝殿は入母屋、桧皮葺、妻入、間口3間2尺、奥行3間2尺、外壁は四周ガラス戸。本殿と権殿は拝殿奥に並列し、一間社流造、間口1間1尺、奥行1間。祭神:日本武尊。相殿:天照皇大神(又は天明玉命)。権殿:大己貴命。
建部大社
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