大津市坂本: 西教寺

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西教寺・歴史・観光・見所
西教寺(大津市)概要: 戒光山西教寺の創建は推古天皇26年(618)、勅命により聖徳太子が慧慈、慧聡の為に開いたのが始まりとされ天智天皇の8年(669)に西教寺の寺号を賜わっています。その後、衰退しましたが慈恵大師良源上人が再興すると寺運が隆盛し、恵心僧都や円観(慈威和尚)も念仏道場として整備し、文明18年(1486)には真盛上人が天台宗の根本道場として境内に多くの堂宇を建立し、当寺を中心として不断念仏の教えを広く布教しました。元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの兵火により西教寺も焼失しましたが、その後、坂本城の城主となった明智光秀の尽力により僅か3年後には本堂が再建されています。その後も光秀の庇護により寺運が隆盛した事から境内には光秀の供養塔や明智一族の墓などが建立され明智家と西教寺との関係が深かったことが窺えます。天正18年(1590)には後陽成天皇の綸旨によって京都の法勝寺が西教寺と合併することになり、多くの仏像や寺宝が運び込まれ「兼法勝西教寺」などと呼ばれるようになります。江戸時代に入ると日光輪王寺(栃木県日光市)の支配下に入りましたが、明治11年(1878)に天台宗真盛派を名乗り昭和21年(1946)に天台真盛宗として独立、約4百余の末寺を有する総本山となりました。本堂(元文4年:入母屋、本瓦葺、桁行7間、梁間5間、3間向拝、背面裳階付)や客殿(桃山時代:旧伏見城御殿、南面入母屋、北面切妻、こけら葺、桁行12間、梁間8間)などの古建築物群をはじめ、絹本著色当麻曼荼羅図や絹本著色阿弥陀如来像、絹本著色釈迦如来像など数多くの寺宝が国指定重要文化財に指定されています。神仏霊場巡拝の道148番(滋賀16番)。聖徳太子霊跡31番。宗派:天台真盛宗(寺格:総本山)。本尊:阿弥陀如来(重要文化財)。
西教寺
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