【 概 要 】−百済寺(滋賀県東近江市)は推古天皇14年(606)に聖徳太子により創建された寺院で、伝承によると聖徳太子は恵慈と共に当地を訪れた際に霊木から神々しい光を放つのを発見した事から霊地と悟り、その霊木から直接十一面観音像を彫刻し立木観音(別名:植木観音さま、像高2.6m)として堂宇を設けて祀り創建したと伝えられています。ただし、実際は寺号から大陸から日本に土着した渡来人の氏寺として創建された可能性が高いとされ、湖東地域には百済系の渡来人の集落が点在し、当寺も朝鮮半島の百済国の龍雲寺を模したとされます。平安時代に入ると比叡山延暦寺の影響下に入り天台宗の寺院となり「湖東の小叡山」の別称が付けられています。その後は寺運が隆盛し境内には本堂の他、金堂、五重塔など七堂伽藍が建ち並び、1千3百人の僧侶が修行を重ねる巨大寺院として発展しましたが室町時代に入ると火災や度重なる兵火により堂宇が焼失し宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国」と絶賛した境内も荒廃しました。又、僧房が山麓に設けられていた為、石垣が多用され、その多くが織田信長の居城である安土城が築城された際に城郭の石垣で利用する為に持ち去られたようです。江戸時代初期に堂宇が随時再建、現在の本堂はその当時もので国指定重要文化財に指定され、参道周辺は繁栄当時の遺構が点在し国指定史跡に指定されています。
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