大善寺(高島市)概要: 放光山大善寺は滋賀県高島郡新旭町大字新庄字東町に境内を構えている天台真盛宗の寺院です。大善寺の創建は平安時代初期の延暦年間に、伝教大師最澄により開かれたのが始まりと伝えられています。当初は熊野山の堂立山に境内を構えていましたが寛平年間(889〜898年)に近江国高島郡東河原村大字新庄に境内を写しています。
最盛期には境内に七堂伽藍が整備されていましたが元亀2年(1571)に織田信長が高島郡侵攻に侵攻した兵火により堂宇が焼失するなど大きな被害を受け一時衰微しました。その後領主となった織田信澄に帰依されたことで再興し、天正6年(1578)に織田信澄が新庄城から大溝城へ本城を遷した際にはその城下町に別院(紫芝林山大善寺)を開創しています。
天正10年(1582)に清須会議により若狭国、近江国志賀郡と高島郡が丹羽長秀の所領になると当寺には寺領26石が寄進されています。延宝年間(1673〜1681年)の火災により多くの堂宇が焼失しましたが、その後再建を果たしています。
大善寺境内は中世、当地を支配した多胡氏の城だったとされる新庄城の城跡で信長の侵攻後は磯野員昌が入り信澄が大溝城を築くと廃城になったと推定されています。本尊の大日如来像は平安時代に伝教大師最澄が自ら彫刻したと伝わるもので像高74.5cm、檜材、一木造、漆箔、大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
境内に建立されている宝塔は正和2年(1313)に製作されたもので花崗岩製、塔高186cm、貴重な事から高島市指定文化財に指定されています。山号:放光山。宗派:天台真盛宗。本尊:大日如来。
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