豊郷町(歴史)概要: 豊郷町は朝鮮半島からの渡来人とされる阿直岐氏が開発した地域で、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された阿自岐神社は阿直岐氏の祖神が祭神にしていると云われています。阿直岐は平安時代の国書である「古事記」や「日本書紀」に百済の氏族として記載され、「日本書紀」では応神天皇15年に百済王から日本の朝廷に良馬2頭を献上した際の使者として遣わされ、その後日本に土着したとされます。さらに後裔が当地に移り住み、姓名から安食郷の地名が成立したとされ、阿自岐神社の境内は阿直岐氏の邸宅跡とも云われています。
中世に入ると交通の要衝だった事から度々戦乱の舞台にもなり、小規模ながら町内には様々な城砦が築かれ、後に近江商人とも云われた商人の祖とも言える枝村商人が発生しています。南北朝時代前後は那須氏(那須与一の次男の後裔)や吉田氏(近江源氏六角氏の一族)、赤田氏(赤田源隆:多賀荘から当地に土着し赤田城を築城)など国人領主が支配し、応仁の乱後は六角氏が支配します。江戸時代に入ると彦根藩に属し、東海道沿いの集落では近江商人が台頭し多くの豪商を輩出し、中でも伊藤忠商事・丸紅の創業者である伊藤家は豊郷町出身として知られ明治時代以降の町の開発にも尽力しています。
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