鳥居本宿: 有川家住宅

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鳥居本宿(中山道)・有川家住宅
【 中山道 】中山道は幕府が整備した重要街道である五街道の一つで、江戸日本橋と京都三条大橋を結びました。太平洋側を縦断する東海道より距離が長く日数的にも多くかかりますが、中山道は東海道程、大きな河川を横切らなかった為、自然現象での交通障害が少なく比較的安定した計画が立てられました。中山道を参勤交代の経路とする大名家も多く、幕末には皇女和宮が江戸に降嫁した際にも中山道を利用しています。

【 鳥居本宿 】鳥居本宿は中山道の宿場町として成立した町で、江戸日本橋から63番目にあたります。朝鮮通信使が利用する朝鮮街道が分岐する交通の要衝として知られています。又、地理的な要因から参勤交代で鳥居本宿を宿所として利用する大名が多く、本陣である寺村家は広い屋敷が求められました。又、合羽の生産地でもあった事から現在でも合羽を模った看板を見る事が出来ます。有川家住宅などの町屋建築が複数現存し街道沿いには落ち着いた町並みが残されています。

【 有川家住宅 】有川家住宅は滋賀県彦根市鳥居本町に位置している町屋建築で、主屋は宝暦9年(1759・※文化5年:1808年に書院を増築)、粉挽蔵は宝暦12年(1762)、薬医門は文化7年(1810)、文庫蔵は寛政7年(1795)、大蔵は文化12年(1815)に建てられました。有川家は浅井氏の家臣で近江佐和山城の城主である磯野員昌に従う武家だった家柄で「鵜川」を姓としていましたが、磯野氏が没落すると帰農し有栖川宮家と関係を持った為、「有川」に姓を改めています。特に道中薬である「赤玉神教丸」の製造販売元として知られ、中山道鳥居本宿を利用した旅人から支持されたようです。国指定重要文化財。

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