愛荘町: 豊満神社

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概要・歴史・観光・見所
豊満神社(愛荘町)概要: 豊満神社は滋賀県愛知郡愛荘町豊満に鎮座している神社です。豊満神社豊満神社の創建は不詳ですが神功皇后の軍が三韓征伐の際に掲げた軍旗を祀ったのが始まりとされ、延長8年(930)には社殿の造替したとの社伝が残されている事からこれ以前から鎮座していたと思われます。軍旗は神功皇后を勝利に導く守護神となった事から信仰の対象となり、境内に生える竹を利用した軍旗を掲げると戦に勝と云われています。又、一説には当時の大国荘を開発した秦氏(渡来人)が祖神である豊幡武尊を祀ったのが始まりとされ「秦=はた=旗」と転じて、別称で「お旗さん」や「旗の宮」と呼ばれ守護神である軍旗や祭神の足仲彦命や息長足姫、誉田別命なども朝鮮半島との繋がりが深いと推定されています。

豊満神社は歴代領主や為政者に崇敬庇護され、三条天皇(在位:1011〜1016年)は勅願社として庇護し、中御門宜胤卿は嘉吉3年(1443)に神額を奉納しています。鎌倉時代には源頼朝が戦勝祈願を行い、中世以降近江国守護を歴任した佐々木家やその後裔とされる六角氏(大永4年:1524年に六角定頼が社領を安堵。永禄10年:1567年に六角義治が神域の森林伐採の禁制)や京極氏なども社領を安堵した事で社運も隆盛し「愛知郡総社」とも呼ばれました。戦国時代に織田信長の兵火により神門(神社山門)以外の社殿が焼失し大きな被害を受けましたが、その後再興され天正13年(1585)には羽柴秀次が社領14石を寄進しています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され社号を「豊満神社」に改称し明治9年(1876)に村社、明治14年(1881)に郷社、昭和5年(1930)に県社に列し、明治41年(1908)に神饌幣帛料供進社に指定されています。

正面にある四脚門は元亨3年(1323)に建立されたと推定されるもので入母屋、よろい葺(こけら葺と檜皮葺を交互に重ねている)、一間一戸、四脚門、鎌倉時代の神門(神社山門)として貴重な存在で国指定文化財に指定されています。現在の社殿は安政元年(1854)の火災で焼失した後の万延元年(1860)に再建されたもので、拝殿は切妻、平入、桁行7間、梁間4間、銅板葺、。本殿は三間社流造、桁行3間3尺、梁間3間、銅板葺。祭神:大国主命、足仲彦命(仲哀天皇)、息長足姫命(神功皇后)、譽田別命(応神天皇)。

豊満神社:写真

豊満神社境内正面に設けられた石鳥居
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豊満神社神門(神社山門)正面と土塀 豊満神社神門(神社山門)左斜め前方 豊満神社参道石畳と拝殿と石造狛犬 豊満神社本殿と中門と玉垣


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