愛荘町(歴史)概要: 古くから交通の要衝として知られ、古代から官道である東山道の宿駅が設置されていました。江戸時代に入ると中山道の宿場町(江戸から65番目)として整備され周辺地域の経済の中心として発展しました。天保14年(1843)には愛知川宿には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒あり総家屋数は199軒、人口は929人、宿場の長さ南北5町34間(約607m)あったそうです。明治11年(1878)に行われた明治天皇の北陸巡幸の際は愛知川宿を利用し竹平楼(屋号:竹の子屋)で御小休され、現在でもその部屋が残されています。旧秦荘町にある金剛輪寺(松尾寺)は天平9年(737)に聖武天皇の勅願で行基菩薩が創建した古社で歴代領主や為政者から庇護されたことで寺運が隆盛し湖東三山の1つとして大きな影響力を持ちました。
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