近江八幡市(歴史)概要: 近江八幡市は千僧供古墳群に見られるように早くから開発された地域です。大島神社・奥津島神社が延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に名神大社として記載されるなど当時から中央にも知られた古社が点在し、琵琶湖に浮かぶ沖島も信仰の対象になりました。飛鳥時代には聖徳太子が多くの寺院を創建し、中でも長命寺は天智天皇の勅願寺になるなど寺運が隆盛し歴代の領主や豊臣秀吉や徳川家康などからも庇護されています。
都市的な始まりは天正13年(1585)、豊臣秀吉の甥で後に関白となる秀次が20万石で入封し八幡城を築いた時で、琵琶湖の湖水を引き込んだ八幡堀の建設や碁盤の目のような城下町、数多くの社寺を安土城から移すなど現在の近江八幡市の礎を築きました。天正18年(1590)に秀次が100万石で清州に移封になると京極高次が2万8千石で入封しますが、政治的、軍事的な重要性が希薄になり、高次が大津城に移ると八幡城は廃城となります。
しかし、経済的な優位性は江戸時代を通じて維持され近江商人発祥地とも言われる程に商業都市として発展し数多くの豪商を輩出しました。現在でも八幡堀周辺では当時の町並みが非常によく残され八幡堀、日牟礼八幡宮境内地、新町通り、永原町を中心とする13.1ha(地区内にある建築物180棟、工作物93棟が伝統的建造物)が平成3年に「八幡伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成17年に景観計画区域に指定、平成18年に「近江八幡の水郷」として重要文化的景観に選定されています。又、建築家ヴォーリズが住んでいた町でもあり現在でも近江八幡市にはヴォーリズが設計した数多くの近代建築が残されています。
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