近江八幡市安土町(歴史)概要: 安土町は湖南遺跡で見られるなど弥生時代中期には稲作が始まっていた地域で早くから人々が生活するに適した場所でした。古代では沙沙貴山君一族が支配し瓢箪山古墳はその墳墓とされ全長162mの前方後円墳は滋賀県の中でも最大の大きさを誇ります。中世に入ると近江源氏佐々木氏の本拠となり観音寺城を中心に政治が行われ、周囲には沙沙貴神社や観音正寺など佐々木氏縁の社寺が点在します。戦国時代に入ると佐々木氏の後裔である六角氏が支配し、室町幕府将軍足利氏を迎え入れるなど勢力を拡大しましたが、近江侵攻を果たした織田信長に屈し甲賀へ逃れています。新たに領主となった信長は天正7年(1579)、岐阜城(岐阜県岐阜市)から安土城に居城を移し天下統一の拠点としました。
安土城は日本で始めて本格的な天守閣を持つ壮大な城とされ、本丸には天皇の天皇を迎える為に京都御所の清涼殿を模した思われる御殿が建立されるなど当時の城郭として極めて先鋭的でした。天正10年(1582)、本能寺の変が起きると明智光秀の従兄弟である明智秀満が一時摂取しましたが、山崎の合戦で光秀の敗北の報を聞くと坂本城に引き上げ、混乱の中天守閣を含む本丸部分が火災により焼失します。清洲会議の後、織田秀信(信長の嫡孫・幼名:三法師)が一時留まりますが天正13年(1585)に豊臣秀次が八幡山城を築く際、城下町を含めて八幡山に移され安土城は廃城となります。
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