北陸道(北国街道・東近江路)概要: 滋賀県側の北陸道は特に北国上街道や東近江路と呼ばれ、戦国時代には柴田勝家が居城である越前北ノ庄城(福井県福井市)と主家である織田信長の居城安土城(滋賀県近江八幡市安土町)を結ぶ貴重な街道として整備されました。軍事的にも重要視され天正11年(1583)には街道沿いの要衝である賤ヶ岳で柴田勝家に勝利した羽柴秀吉が大きく趨勢を引き寄せています。秀吉の政権下では長浜城主となった山内一豊や佐和山城主となった石田三成が支配し江戸時代には主に彦根藩に属しました。彦根藩は近江国(現在の滋賀県)と越前国(現在の福井県)の国境境に近い柳瀬宿に柳瀬関所が設け、人物改めや荷改めを厳重に行い、要所である木之本宿には本陣、脇本陣、問屋を設けました。木之本宿では牛馬市を奨励した為、多くの商人が牛馬を求めて木之本宿を利用した為、経済的にも発展しました。北陸道は福井藩、丸岡藩、大野藩、勝山藩、鯖江藩、小浜藩の参勤交代にも利用され、江戸に向かう時には木之本宿から北国脇往還を通り中山道の関が原宿に抜けるルートを使用しています(加賀藩も諸事情により数回程度北陸道を利用、又、北国脇往還ではなく鳥居本宿から中山道に入るルートも利用されました)。
北陸道(北国街道・東近江路)のルート
中河内宿−椿坂宿−柳瀬宿−木之本宿−長浜宿−米原宿−鳥居本宿
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