鳥居本宿(竜王町)概要: 案内板によると「 鳥居本は、江戸から数えて中山道67次の第63にあたる旧宿場町です。当時旅人に道中合羽を製造販売していた店の古い木製看板や、万病に効くといわれる道中薬を江戸時代から製造販売している有川家などに旧街道の名残りがみられます。旅人たちに木陰を提供した松並木や格子構えの家が並ぶまちをぶらり歩いてみてはいかがでしょう。」とあります。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒、家屋293軒、人口1448人で構成され本陣は寺村家が脇本陣は高橋家が担っていました。距離的な関係から鳥居本宿本陣では様々な大名が参勤交代の際、宿泊として利用し、往時は大名行列の宿泊を賄う為、合計201畳に及ぶ屋敷があったとされます。又、鳥居本宿は交通の要衝で中山道と朝鮮人街道(彦根路)の分岐点でもあり文政10年(1827)には道標(「右 彦根路」・「左 中山道 京いせ道」)が建立されています。朝鮮人街道(彦根路)は中山道と彦根城下を結ぶ脇街道的な存在で彦根藩2代藩主井伊直孝が整備しています。鳥居本宿の名産だった道中合羽はかなり知られていたようで往時は18軒も製造販売店があったとされ、現在は販売元はありませんが当時の看板を掲げている町屋が数軒残されています。合羽所「松屋」では案内板によると「 江戸時代より雨具として重宝された渋紙や合羽も戦後のビニールやナイロンの出現ですっかりその座を明け渡すこととなり、鳥居本での合羽の製造は1970年代に終焉し、今では看板のみが産地の歴史を伝えています。昔そのまま屋根の上に看板を掲げる松屋松本宇之輔店は、丸田屋から分家し、戦後は合羽の製造から縄づくりに転業しています。2001年には、かつて家屋の構造を生かしながら改修されました。」とあります。現在の鳥居本宿は赤玉神教丸本舗(有川家住宅)など古い町屋が点在し良好な町並みを見る事が出来ます。
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