有川家住宅(鳥居本宿)概要: 有川家は古くは磯野丹波守に仕え、鵜川氏を名乗っていましたが、有栖川宮家と関係を深めた事で有川氏に改称し明治11年(1878)の明治天皇北陸巡幸では休息所として利用されています(東海地方巡幸の際も利用)。
赤玉神教丸は中山道を利用する旅人などを対象に店頭販売した道中薬で、万治元年(1658)頃に創建されたとされ、多くの人々が買い求めて繁盛し、文化12年(1815)に編纂された近江名所図会にも紹介され、文久3年(1863)の皇女和宮降嫁の際に献上されています。
現在の建物は宝暦年間(1751〜1764年)に建てられたもので木造2階建、入母屋、桟瓦葺、塗屋造、正面2階開口部は虫籠窓が採用され1階は下屋庇が取り付けられ明治天皇の御休息に合わせ一部増築、改修されています。
有川家住宅は江戸時代中期に建てられた大型町屋建築の遺構として貴重な存在で彦根市指定文化財に指定され、平成21年(2009)に主屋・書院・蔵及び庭園が滋賀県指定文化財に指定、さらに、平成24年(2012)に国指定重要文化財に指定されています。
有川家住宅:構成要素
・ 店舗及び居室-宝暦9年-木造2階建,入母屋,桟瓦葺,桁行14.9m,梁間17.9m
・ 玄関及び書院-文化5年-木造平屋,入母屋,切妻,桟瓦葺,桁行7.9m,梁間17.7m
・ 粉挽蔵-宝暦12年-土蔵2階建,切妻,桟瓦葺,桁行5.9m,梁間4.1m
・ 文庫蔵-寛政7年-土蔵2階建,切妻,桟瓦葺,桁行5.5m,梁間3.6m
・ 大蔵-文化12年-土蔵2階建,切妻,桟瓦葺,桁行20.4m,梁間5.9m
・ 薬医門-文化7年-切妻,桟瓦葺,一間一戸,薬医門形式両袖塀附属
薬医門を簡単に説明した動画
|