番場宿(米原市)概要: 番場宿は中山道の宿場町で天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、家屋178軒ありました。宿場の規模は下町、仲町、上町の3町合計で1町10間(約127m:中山道の宿場町の中では最短)と短く旅籠の数も比較的少ない事から宿泊などの利用に不向きだったと思われます。しかし、慶長16年(1611)に彦根藩の命により北村源十郎が米原湊を開削されると、番場宿と北陸道の米原宿との間に切通しが設けられ、琵琶湖を利用した舟運の物資が番場宿を経由して中山道に運ばれる物流の拠点として重要視されるようになり、小さい宿場町ながら問屋6軒を擁しました。本陣は代々北村家が世襲し、敷地面積は156坪の中には表門や式台付の玄関を有し格式の高い建物だったと思われます。脇本陣は高尾家が世襲し本陣より小規模の84坪の敷地でした。街道沿いには推古天皇の勅願により聖徳太子が創建した蓮華寺や明治時代に建立された石造道標「米原 汽車 汽船 道」、寛永2年(1625)に彦根藩2代藩主井伊直孝の御霊を勧請した直孝神社、寛平6年(894)勧請された北野神社などがありますが、町屋にはあまり古い建物が少なく歴史的町並みも失われつつあります。
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