中山道(近江路)概要: 柏原宿(滋賀県米原市)は近江路と美濃路の境にある事から繁栄し規模で言えば中山道の宿場町では4番目にあたります。醒井宿は古来から日本武尊の伝説が伝わる地で、宿場内から湧き出る居醒の清水で毒気に当てられた日本武尊が身を清めると不思議と平癒し体調がよくなったと伝えられています。馬場宿からは最短距離で北陸道へと結ぶ深坂道が延び、鳥居本宿では北陸道と朝鮮人街道(彦根道・八幡道)の分岐点として、多くの大名が参勤交代で本陣や脇本陣を宿泊に利用しました。鳥居本宿は道中薬だった赤玉神教丸や道中合羽などの生産も盛んで現在もその名残が残っています。高宮宿は多賀大社へと続く参拝路で、大藩だった彦根藩の彦根城下にも近かった事から中山道の宿場町としては本庄宿(埼玉県本庄市)に次ぐ大きな宿場として繁栄しました。又、高宮布(高宮細美・近江上布)の特産地でもあり彦根藩も奨励し将軍家への献上品にもなっていました。草津宿は中山道と東海道の追分であった為、一般的には東海道の宿場町とされ天保14年(1843)に編纂された「東海道宿村大概帳」によると本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠73軒、人口2351人と大繁栄しました。現在でも古い町屋が点在し、中でも本陣の1つである田中七左衞門本陣は現存する本陣建築として最大級のもので国指定史跡に指定されています。大津宿は膳所藩の城下町、琵琶湖舟運の港町として当地域の行政、軍事、経済の中心地で、最終の京都を控えていた事で様々な点で重要視されました。
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