中山道(滋賀県:近江路)

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概要・歴史・観光・見所

【柏原宿】柏原宿滋賀県米原市)は歴史がある宿場で、古代の官道である東山道の「駅」が置かれたとされ周辺には最澄により創建され織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が本陣として利用した成菩提院や近江国守護職である京極家の菩提寺である徳源院などの史跡が点在しています。江戸時代に入ると中山道の宿場町として整備され江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠22軒、家屋344軒、問屋が6軒(東西2軒づつ10日交代)設けられるなど伝馬の中継地として繁栄しました。現在も比較的良好な町並みが保持されています。

【醒井宿】醒井宿(滋賀県米原市)の地名は古くから知られ、奈良時代に国書として編纂された「日本書紀」には日本武尊が伊吹山に巣食う大蛇の毒を「居醒泉」で洗い流し身を清めた事が記載されています。現在でも宿場内には多くの清水が湧き出ており多くの旅人や商人が喉を潤したと思われます。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒、家屋138軒と比較的小規模な宿場でしたが現在も雰囲気ある町並みが見られます。特に醒井宿の問屋場を担った旧川口家住宅が残され米原市指定文化財となっています。

【番場宿】番場宿(滋賀県米原市)は古代の官道である東山道の「駅」が置かれた歴史が深い所で、聖徳太子により創建されたと伝わる蓮華寺(紙本墨書陸波羅南北過去帳と梵鐘は国指定重要文化財)が境内を構えています。江戸時代に入り中山道が開削されると宿場町として整備され、慶長16年(1611)には北国街道(北陸道)の宿場町米原宿とを結ぶ脇道が開削され交通の要衝となっています。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、宿場の長さは1町10間(約127m)との記録があり中山道の宿場町の中では小規模でした。

【鳥居本宿】鳥居本宿(滋賀県彦根市鳥居本町)は中山道と朝鮮人街道(彦根道)、北国街道(北陸道)が分岐する交通の要衝で、京都からの距離の関係で西国大名の多くが参勤交代の際に鳥居本宿を利用しています。その為、本陣を担った寺村家は201帖もある大豪邸が求められました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒、家屋293軒、宿場の長さ13町(約1.4キロ)、合羽制作販売が盛んだったとされます。

【高宮宿】高宮宿(滋賀県彦根市高宮町)は中山道と、多賀大社の参道の分岐点でもある事から宿場の中央付近には多賀大社の一之鳥居が建立されていました。江戸時代中期以降、行楽思考が庶民にも高まると多賀大社詣でをする人が飛躍的に多くなりそれに伴い高宮宿も賑わいました。又、「高宮布」の産地や取引場でもあり、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒、家屋835軒、宿場の長さは7町16間と大きく繁栄しています。

【愛知川宿】−愛知川宿(滋賀県愛知郡愛荘町)は古代の官道である東山道の「駅」が設置された場所です。江戸時代に入ると中山道の宿場町として整備され、「近江上布」の生産地として大きく繁栄し愛知川商人や近江商人と呼ばれる豪商を輩出しています。交通の要衝でもあり東海道の土山宿とを結ぶ御代参街道との分岐点がありました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒、家屋199軒、現在も比較的古い町並みが残され竹平楼と旧田中家住宅、藤居本家が国登録有形文化財に登録されています。

【武佐宿】−武佐宿(滋賀県近江八幡市)は古くは武佐寺の門前町として発展した町で地名も寺号に起因しています。江戸時代に入り中山道が開削されると宿場町として整備され中山道と伊勢国とを結ぶ八風街道と琵琶湖舟運の拠点となった近江八幡とを結ぶ八幡街道が交差する交通の要衝として発展し、宿次・伝馬の拠点となった事で物資の集積場となり宿場の長さは8町24間、1日に3千人の往来があるなど大宿となりました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠23軒、家屋183軒、現在も平尾家役人宅や大橋家住宅が残り往時の繁栄が窺えます。

【守山宿】−守山宿(滋賀県守山市)の地名は比叡延暦寺の東方を護する守山寺東門院(朝鮮通信使の宿所。石造五重塔は国指定重要文化財)の門前町だった事に起因するとされます。江戸時代に入り中山道が開削されると宿場町として整備され、京都を朝方に出立すると守山宿で夕方になった事から「京立ち守山泊まり」と唄われ、多くの旅人や商人達が宿泊地として利用し繁栄しました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒、家屋は415軒、宿場の長さ11町53間。

【草津宿】−草津宿(滋賀県草津市)は中山道と東海道が分岐する交通の要衝として重要視されてきた町です。江戸時代後期には本陣2軒、脇本陣2軒(最盛期には4軒)、旅籠72軒(最盛期には132軒)、家屋586軒、田中七左衞門本陣は現存する本陣としては最大級で、多くの大名や著名人が利用して歴史的にも貴重な事から国指定史跡に指定されています。

【大津宿】−大津宿(滋賀県大津市)は中山道69番目、東海道53番目の宿場で、琵琶湖舟運の拠点、膳所藩の藩庁、藩主居館が置かれた膳所城の城下町でもあった為、中山道の宿場町の中では最大級の宿場町として発展しました。交通の要所だった瀬田唐橋を控えた事で度々戦場にもなり、大津京が遷都され、京都に隣接している事から数多くの名社、名刹が点在しています。

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