米原市(歴史)概要: 米原市は古くから交通の要衝として知られ、江戸時代には五街道に数えられ西国大名が参勤交代で利用した中山道と古代からの官道で北陸地方を結ぶ北陸道(北国街道)が交わる重要な地とされました。米原市の中山道の宿場町としては番場宿、醒井宿、柏原宿の3宿が北陸道(北国街道)の宿場町としては米原宿が置かれおおいに賑わいました。中世は近江守護となった京極氏の本拠地として柏原館や京極館を築き近江国の政治の中心となり京極氏縁の社寺仏閣も隆盛しました。戦国時代に京極氏が衰退すると浅井氏が支配し、さらに京都と岐阜とを繋ぐ為、織田信長により抑えられます。米原宿の背後に築かれた太尾山城は戦略拠点として機能し、信長が浅井、朝倉氏と対立した際には重要視されました。江戸時代に入ると彦根藩に属し米原港は中山道を控えたことで多くの物資や旅人が集まり琵琶湖舟運の拠点として繁栄を極めました。
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