日撫神社(米原市)概要: 日撫神社は滋賀県米原市顔戸に鎮座している神社です。日撫神社の創建は神功皇后が三韓の凱旋の折、戦勝祈願の念願成就のお礼として祖先旧跡である当地に息長宿禰王と少毘古名命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。一方、「新撰姓氏録」によると後漢需帝4世孫の阿智使臣の一族の後裔とされる山田造と火撫直の2氏が祖先を祭ったのが始まりとされます。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されるなど社運も隆盛し村上天皇は宸翰の額を奉納し、後鳥羽上皇は名超寺の行幸の際に黄色の牛を奉納しています。その後も白河天皇が社領600石を寄進し、応永13年(1406)には京極高光が社殿が造営するなど朝廷や領主から庇護され最盛期には朝妻荘内11ケ村の産土神として境内には多くの社殿が建立され社坊19社、数多くの社僧を抱える大社となりました。
天文、弘治、永禄、天正年間の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し次第に衰退していきますがその後再建されています。当初は日撫大明神と称し神仏習合の形態でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、現在の社号である日撫神社に改称、明治7年(1874)に村社に列し、明治14年(1881)に郷社に昇格、明治41年(1908)に神饌幣帛料供進社に指定、大正10年(1921)に県社に昇格しています。現在でも梵鐘や薬師如来懸仏など仏教色の強い社宝を所有し神仏習合の名残が残されています。
日撫神社の社宝である梵鐘は鎌倉時代の弘安6年(1283)に鋳造されたもので貴重な事から昭和34年(1959)に滋賀県指定文化財に指定されています。薬師如来懸仏(3面)は室町時代末期に制作されたもので、貴重な事から昭和56年(1981)に米原市指定文化財に指定されています。
日撫神社本殿は亨保8年(1723)に造営されたもので、三間社流造、正面千鳥破風、檜皮葺、正面1間軒唐破風向拝付き。拝殿は寛政年間(1789〜1801年)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、正背面軒唐破風、檜皮葺、平入、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り。中門(神門)は向唐門、檜皮葺、一間一戸。祭神:少彦名命、息長宿禰王、應神天皇。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(御由緒)-日撫神社
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