善性寺(青木館)概要: 平尾山善性寺は滋賀県米原市能登瀬に境内を構えている浄土真宗仏光寺派の寺院です。青木氏の詳細は不詳ですが戦国時代には当地域を治めていた佐々木氏によって編纂された「佐々木南北諸氏帳」に佐々木浅井家に従った青木筑後守が青木庄能登瀬を領していた事が記載されています。又、伝承によると藤原鎌足の後裔である青木武蔵守頼忠が当地に土着し山津照神社(延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社)の別当として祭祀を担ったとされ、青木氏の祖先5代を祭った事から何時しか青木大梵天皇、青木大明神、青木宮などと呼ばれるようになった伝えられています。大永6年(1526)には六角隆頼(義実)が浅井亮政討伐の戦勝祈願を行っており、念願成就した暁には近江甲賀郡内で所領を寄進する事が願状に記載されています。
現在の山津照神社、別当寺院であった善性寺一帯が青木氏の城跡で、南麓にある青木神社付近には居館である「御殿」が設けられていました。その後の青木氏は分かりませんが一説には戦国時代に没落すると関東に逃れ、時の当主青木筑後守貞景の娘が松平清康(徳川家康の祖父)の継妻となり嫡男である松平広忠(徳川家康の父親)を産んだとも、一説には刀を棄て京都で商人となり麩太を創業したとも、後裔(?)と思われる青木忠兵衛は石田三成の家臣の後、藤堂高虎に使えたとも云われています(元々は青木氏では無かったとも。甲賀にも青木氏の系統がありよくわかりませんでした)。現在は城郭としての遺構は失われています。
善性寺の創建は平安時代の延喜年間(901〜923年)に開かれたのが始まりと伝えられています。当初は天台宗の寺院でしたが、鎌倉時代の正嘉5年(1261)に浄土真宗に改宗しています。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門。本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山号:平尾山。宗派:浄土真宗仏光寺派。本尊:阿弥陀如来。
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