山津照神社(米原市)概要: 山津照神社は滋賀県米原市能登瀬に鎮座している神社です。 山津照神社の創建は不詳ですが天武天皇の御代(673〜86)に勧請されたのが始まりと伝えられています。当地は古代豪族である息長氏の本拠地とされ、境内には息長宿祢王の墳墓(滋賀県指定史跡)と伝わる前方後円墳があるなど息長氏と関係が深い神社だったと思われています。中央にも知られていた存在で天平神護元年(765)には神封六戸が存在し仁寿元年(851)に正六位、貞観8年(866)に正四位下に、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社坂田郡五座の1つとして記載されていました。
山津照神社はその後も朝廷や領主から崇敬、庇護され承久3年(1221)には 後鳥羽上皇が宝剣を奉納、正応2年(1289)には光厳院が社殿の修造し天下泰平を祈願、暦応2年(1339)に光明天皇が社殿の修造と祈願、文和3年(1354)に後光厳天皇が祈願が行われました。古くから、神仏習合し藤原鎌足の後裔である青木武蔵守頼忠が当地に土着し別当職(善性寺)を担ったとされ、その際、青木家の祖神5代が勧請合祀され青木大梵天皇、青木大明神、青木宮、青木社などと呼ばれるようになりました。
中世に入ると青木家が土豪化し、境内は城郭として整備され、領主である佐々木家に使えていた事が「佐々木南北諸氏帳」に記載されています。大永6年(1526)には六角隆頼(義実)が浅井亮政討伐の戦勝祈願を行っており、念願成就した暁には近江甲賀郡内で所領を寄進する事が願状に記載されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され旧社号である山津照神社に改称、明治16年(1883)に現在地に遷座した際、青木家の祖神は分祀され旧地(現在地より南麓約80m)に青木神社が創建されています。明治9年(1876)に村社、明治14年(1881)に郷社、大正10年(1921)に県社に列し近隣27ヶ村(現20ヶ村)の総社となり広く信仰を広めています。山津照神社本殿は3間社流造、檜皮葺、桁行4間、梁間3間。拝殿は入母屋、檜皮葺、平入、桁行4間、梁間3間。祭神は国常立尊。
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