草津市(歴史)概要: 草津は古くから、後に五街道の数えられた中山道と東海道の分岐点、琵琶湖舟運の拠点として交通の要衝だった為重要視されました。京都を守備する際も軍事的な要地の1つとして度々戦乱の舞台にもなっています。江戸時代に入ると中山道と東海道の宿場町(草津宿)が整備され江戸時代後期の天保14年(1843)には本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒、総家屋586軒の規模となっています。2軒ある本陣の内の1軒が田中七左衞門家で、東海道の宿場町に現存する本陣建築として最大規模の建物が現存しています。本陣には西国の大名家や著名人が宿泊や休息などに利用され国指定史跡に指定されています。
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