鞭崎神社(草津市)概要: 鞭崎神社は滋賀県草津市矢橋町に鎮座している神社です。鞭崎神社の創建は白鳳4年(676)、大中臣清麿が天武天皇の勅命により勧請したのが始まりと伝えられています。その際、朝廷から境内を中心に4町四方の社領を寄進され、神官である紀是尚は宝祚延長の祈願をしたそうです。以来、朝廷や領主から崇敬庇護され、菅原道真が参拝の際は「降雪に いろまどわせるうめのはな うぐいすのみや わきて歌はん」の詩を残し、この故事から後年に菅原道真の御霊が勧請され境内に天満神社が設けられています。
当初は矢橋八幡宮と称していましたが建久元年(1190)、源頼朝が上洛の際、矢橋の浦で馬上から鞭を上げて指示し村人に当社の事を尋ねた故事から鞭崎八幡宮と称するようになり、以来、頼朝は当社を深く崇敬し建久3年(1192)には社領を寄進し卜部兼藤に命じて社殿を造営しています。
江戸時代に入ると歴代膳所藩主である戸田家、石川家、本多家から庇護され慶長8年(1603)には戸田一西から社領10石、正保4年(1647)には石川忠総から社領5石が寄進され、その後の藩主も社殿の改修や造営が行われ社運も隆盛しました。現在の鞭崎神社本殿は天保8年(1837)、上加茂神社(京都府京都市)の式年造替で、社殿を解体した際の用材を譲り受け仙洞御所(退位した天皇(上皇・法皇)の御所、上皇・法皇の異称)の寄付などもあり造営したもので、一間社流造、檜皮葺、江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重な存在です。
鞭崎神社表門は慶長年間(1596〜1615年)に膳所城の南大手門として建てられたもので、明治4年(1871)に膳所城が廃城になった際、14代藩主本多康穣の寄贈を受け当社に移されました。表門はの形式は高麗門、切妻、本瓦葺、瓦には藩主本多家の家紋、江戸時代初期の城門建築の遺構として大変貴重な存在で大正13年(1924)に国指定重要文化財に指定されています。祭神:應神天皇(誉田別命)、聖母大神(神功皇后)、高良大神(高良玉垂命)、住吉大神、菅原道真公。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒記)-鞭崎神社
・ 現地案内板(表門)
・ 現地案内板(鞭崎神社自然環境保全地区)-草津市
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