彦根市(歴史)概要: 彦根市の歴史は古く神話の時代活津彦根命が開発したのが始まりとされ開発神として金亀山(彦根山)に祀られたと伝えられています。奈良時代には藤原不比等が彦根を本拠として近江国を治めたそうです。鎌倉時代に入ると近江国守護である佐々木定綱の6男時綱が配され、戦国時代には京極氏が支配します。京極氏が衰退してくると浅井氏が台頭し彦根には重臣である磯野員昌が配され六角氏側の要として重要視されます。姉川の戦いで浅井、朝倉連合軍が織田、徳川連合軍に敗れると員昌は織田家の家臣となり高島郡に移封、代わって堀秀政や堀尾吉晴が佐和山城の城主となり、天正18年(1590)に石田三成が21万石で城主になります。三成は佐和山城を大改修し「三成にすぎたるもの、島の左近に佐和山の城」と歌われる名城としましたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際、三成が指揮した西軍が徳川家康が指揮した東軍に敗れ、佐和山城も落城しています。江戸時代に入ると徳川四天王の1人井伊直政が入封し彦根藩(当寺は佐和山藩)を立藩、慶長7年(1602)には直勝が改めて彦根城を築き藩庁と藩主居館を移しました。井伊家は当初18万石でしたが後に30万石に加増され譜代大名として異例の処遇を受けており、城下町には楽々園や玄宮園など格式の高い文化が開き、創建された社寺仏閣も壮麗な建物が点在し、近世では近江国内最大の城下町として繁栄しました。
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