彦根市: 清凉寺

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概要・歴史・観光・見所
清凉寺(彦根市)概要: 祥寿山清凉寺は滋賀県彦根市古沢町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。清凉寺の創建は嘉永年間(1624〜1644年)、彦根藩2代藩主井伊直孝が父親である井伊直政(徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑)の菩提を弔う為、愚明正察禅師(叢林寺:群馬県)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。寺号は井伊直政の戒名「祥壽院殿清涼泰安大居士」に因むもので関係性が窺えます。以来、歴代彦根藩主井伊家の菩提寺として庇護された事で寺運も隆盛し、全国から数多くの名僧が集まる修行道場としても名を馳せ文化年間(1804〜1818年)に百人詰の禅堂が竣工すると最盛期には200人の修行僧が起居していたそうです。背後の佐和山は石田三成の居城である佐和山城があった所で境内は島左近の屋敷跡とされ、中腹には彦根で亡くなった7人の藩主の宝篋印塔が建立されています。

清凉寺井伊家墓所は藩主の墓碑の他、正室、側室15基・子息、子女33基、不明3基(形状:無縫塔形17基・方柱形37基・五輪塔形3基・舟形1基)、供養塔1基(旧小田原藩主大久保忠隣の供養塔、慶長19年:1614年に起こった大久保長安事件に連座し井伊直孝に預けられた)、地蔵尊2基、法華塔1基、経蔵(埼玉県所沢市に移築)、護国殿(福井県敦賀市天満神社に移築)があり、3487.623u+2882.64uが江戸時代の大名の墓域として大変貴重な存在で貴重な事から平成20年(2008)に国指定史跡に指定されています。井伊直弼も清涼寺で学んだ1人で「世の中を よそに見つつも埋もれ木の 埋もれておらぬ心なき身は」の歌を残しています。現在の清凉寺本堂は宝永5年(1708)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行9間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

清凉寺の七不思議
・ 壁の月-方丈の外壁に月の形をしたシミが出来,塗りなおしても同じシミが出来る
・ 左近の南天-島左近縁の南天に触れると腹痛になるとされます
・ 唸り門-当初、島左近邸の表門を山門とした為、唸り声が聞こえたという
・ 洗濯井戸-島左近縁の井戸の水に汚れものを浸すと一晩で綺麗になった
・ 佐和山の黒雲-佐和山城縁の品々が佐和山から沸き上がった黒雲に持ちさられた
・ 木娘-本堂前のタブの木は,毎夜女性に姿を変え参拝者を誑かせた
・ 血の池-佐和山城落城の際,多くの血が流込み,覗くと血みどろの女性の顔が映る

清凉寺の文化財
・ 彦根藩主井伊家墓所-江戸時代-国指定史跡
・ 井伊家歴代等肖像画-江戸時代-彦根市指定文化財

清凉寺:写真

清凉寺
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