埋木舎(彦根市)概要: 埋木舎は滋賀県彦根市尾末町、彦根城の堀沿いに位置しています。案内板によると「 井伊直弼が17歳から32歳までの青年時代を300俵の捨扶持過ごしたところで、直弼は自らを生涯花咲くこともあるまいと埋もれた木にたとえて埋木舎と呼んだ。ここで彼は茶道、華道、禅、歌道、武術などの研究に励んだ。茶道では石州流を学び裏手にある茶室は澎露軒と名づけ数多くの弟子に一期一会の茶道精神を伝えた。」とあります。埋木舎は宝暦9年(1759)に藩の公館として建てられたもので、所謂藩主の御殿とは異なり中級から上級武家屋敷程度の質素な造りでした。
井伊直弼は彦根藩第13代藩主井伊直中の14男でさらに側室の子供だった為、基本的に藩主を継ぐ事は皆無に等しく、天保2年(1831)に直中が死去すると17歳で槻御殿(現在の楽々園・玄宮園)から事実上追い出され300俵の捨扶持で彦根城の中堀の外側に位置する当屋敷に住まわされました。当初は「尾末町御屋敷」や「北の御屋敷」などと呼ばれていましたが直弼が自分が立身出世が見込めない自分を「埋木」に例え「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」との和歌を詠んだ事に因み「埋木舎」と名付けました。
直弼は所謂無職で時間だけは無限大にあった為、その時間を無駄に過さない為に自ら「為すべき業」があるとして様々な学問や武術、文化を学び相当な教養人となりました。すると、弘化3年(1846)、14代藩主井伊直亮の嫡男が死去した事で直弼が養子となり、嘉永3年(1850)に直亮の死去を受けて15代藩主に就任、安政5年(1858)には幕府の大老職に就任しています。埋木舎は「彦根城跡」として国特別史跡に指定されています。
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