大信寺(彦根市)概要: 宝厳山大信寺の創建は慶長8年(1603)、彦根藩初代藩主井伊直政が開いたのが始まりと伝えられています。直政は天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に伴い高崎城(群馬県高崎市)の城主になっていましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで大功を挙げた事で佐和山城に移封となり、その際、高崎で懇意にしていた大信寺(群馬県高崎市)の住職照誉和尚が当地でも大信寺を開山しています。
2代藩主井伊直孝も篤く帰依し事ある毎に大信寺に参拝に訪れたとされ、宝治2年(1659)に死去すると遺骸は江戸の菩提寺である豪徳寺に葬られたものの、歯骨の一部は大信寺の境内に葬られ御廟(直孝鎮魂の銘)が建立されています。以来、歴代彦根藩主から庇護され、元禄から寛永年間(1688〜1710年)には5代藩主井伊直通が本堂を再建しています。
山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、2重楼門、上層部四周高欄付き、正面には「宝厳山」の山号額、山門の両脇には彦根城の残石を利用した石垣(彦根城の石垣と同様に牛蒡積。)が積まれています。山号:宝厳山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
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