【 菩提者 】
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大信寺に御廟がある井伊直孝は、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられた井伊直政の2男として生まれました。側室の子供だった為、幼少期は不遇の時代を過ごしましたが、慶長7年(1602)に直政が死去すると徳川秀忠の近習となり、慶長13年(1608)には上野刈宿領5千石が与えられ、慶長15年(1608)には白井藩(群馬県渋川市白井)1万石で諸侯に列しました。徳川家康からは可愛がわれたようで、慶長19年(1614)の大坂冬の陣で真田丸の戦いで大敗するも御咎めなしで、翌年には兄である井伊直勝に代わって彦根藩15万石の藩主に就任しています。本来、彦根藩2代目藩主のはずですが、記録上は直勝が藩主だった実績が抹消され、初代藩主だったように記載され、直勝は安中藩(群馬県安中市)3万石に左遷された形を取っています。その後は大坂夏の陣で大功を挙げ、幕政でも重責を担うようになり3代徳川家光の時代には後に大老職と呼ばれる大役を担い、譜代大名最大の30万石を安堵されるまでになりました。万治2年(1659)死去。享年70歳。墓所は墓所は東京都世田谷区の大溪山豪徳寺ですが、歯骨の一部が領内で縁が深い大信寺に葬られ御廟が設けられました。
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