聖衆来迎寺(森可成:菩提寺) |
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【 菩提者 】 | 聖衆来迎寺の境内に墓碑がある森可成は大永3年(1523)に森可行の子供として生まれました。当初は美濃国守護職の土岐氏に仕えていましたが、斎藤道三の台頭により土岐氏が没落すると、織田信長に仕えるようになったとされます。その後は主要な合戦に従軍すると共に、信長の家督争いに協力し地位を確立させた事で重臣に抜擢されるようになり、居城として美濃金山城を与えられた一方、上洛への前進基地となる近江宇佐山城(滋賀県大津市南滋賀町)の城将にも抜擢されます。元亀元年(1570)に織田軍を東西挟み撃ちを画策する浅井長政・朝倉義景の連合軍を分断する為に、森可成は近江宇佐山城から出陣し坂本に陣を構え迎え撃ちますが激戦むなしく討死、遺骸は生前関係が深かった聖衆来迎寺の住職真雄が密かに境内に運び込み篤く弔ったそうです。森可成と聖衆来迎寺の関係を知った織田信長は元亀2年(1571)の比叡山焼き討ちの際に聖衆来迎寺を標的から外したとも云われ被害を免れています。聖衆来迎寺の境内には森可成の墓碑が建立されています。
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【 寺 号 】 | 聖衆来迎寺 |
【 所在地 】 | 滋賀県大津市比叡辻 |
【 創建年 】 | 延暦9年(790) |
【 開 山 】 | 最澄 |
【 開 基 】 | − |
【 山 号 】 | 紫雲山 |
【 宗 派 】 | 天台宗 |
【 本 尊 】 | 阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来 |
【 備 考 】 | 森可成・寿々姫の墓 |
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