大津市坂本: 聖衆来迎寺

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概要・歴史・観光・見所
聖衆来迎寺(大津市坂本)概要: 聖衆来迎寺は滋賀県大津市比叡辻2丁目に境内を構えている天台宗の寺院です。聖衆来迎寺の創建は延暦9年(790)、伝教大師最澄が一宇を設け地蔵菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。当初は地蔵院と称していましたが長保3年(1001)、恵心僧都(源信)が念仏道場として再興、その際、阿弥陀如来と二十五菩薩が紫雲に乗って出現したことから紫雲山聖衆来迎寺に改称、恵心僧都はその時の様子を来迎図として印刻し、さらに阿弥陀如来を自ら彫り込み安置しました。その後、比叡山延暦寺末の念仏道場として寺運が隆盛し、大永7年(1527)には真玄(近江守護六角高頼の5男)が中興しています。

戦国時代に入ると宇佐山城主で織田信長の家臣森可成(信長の側近、森乱丸の父親)から庇護され、元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちの際にも、当寺が可成の菩提が葬られていた関係から兵火を免れています(可成は元亀元年:1570年に浅井、朝倉軍との戦いで下坂本瀬戸在家にて討死、住職の計らいで密かに当寺に埋葬され、後に五輪塔が建立されています)。天正元年(1573)、後醍醐天皇の勅願寺で廃寺となっていた元応寺(現在の京都市左京区岡崎)の本尊(薬師如来像)が移され天正17年(1589)に正式に合併した事で戒壇が設けられ、以後、授戒の道場となっています。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来。

現在の聖衆来迎寺客殿は寛永16年(1639)に建てられたもので南面入母屋、北面切妻、こけら葺、桁行10間、梁間6間、上段の間をはじめ竜虎の間、仏間、四皓七賢の間、花鳥の間など障壁画(狩野探幽など)や彫刻な格式の高い意匠が施され書院や茶室も備えられています。聖衆来迎寺客殿は江戸時代初期に建てられた寺院書院建築の遺構として大正11年(1922)に国指定重要文化財に指定されています。聖衆来迎寺本堂は寛文5年(1665)に造営されたもので、寄棟、桟瓦葺、平入、桁行5間、梁間6間、江戸時代初期の天台宗本堂建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。山門は安土桃山時代(16世紀後半)に建てられた、明智光秀の居城坂本城の城門(当初は櫓門で、山門した際上部が取り除かれたと推定されています。)を移築したもので切妻、本瓦葺、一間一戸、滋賀県最古の城門建築で数少ない坂本城の遺構である事からで国指定重要文化財に指定されています。

聖衆来迎寺開山堂は寛永16年(1639)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺、桁行3間、梁間3間、1間向拝付、内部は外陣と内陣を建具で仕切り、内陣は極彩色で彩られ、恵心僧都源信が祀られています。聖衆来迎寺開山堂は江戸時代初期の三間堂の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。寺宝である絹本著色六道絵は鎌倉時代に制作されたもので「往生要集」の考えから閻魔王庁図・阿鼻地獄・黒縄地獄・人道不浄相・餓鬼道などが描かれた15幅が残り国宝に指定されています。その他にも数多くの文化財を所有しています。

聖衆来迎寺:写真

聖衆来迎寺
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