宝光寺(大津市坂本)概要: 鉄葦山宝光寺は滋賀県大津市大津市坂本一丁目に境内を構えている天台真盛宗の寺院です。宝光寺の創建は平安時代の永観2年(984)東三条院藤原詮子(一条天皇の生母)が比叡山延暦寺の常行堂に安置されていた阿弥陀如来を自らの離宮に勧請し祭ったのが始まりと伝えられています。正暦3年(992)離宮内に堂宇を造営、寺号「真正極楽寺」と名付け正式な寺院として整備され、正暦5年(994)に一条天皇が勅願寺として離宮の敷地を真正極楽寺(真如堂)に寄進しています。当初は京都市左京区浄土寺真如町神楽岡に境内を構えていましたが応仁の乱の兵火により堂宇が焼失し境内が荒廃した為、応仁2年(1468)に本尊を一旦比叡山西塔黒谷青龍寺に遷しました。
しかし、青龍寺は比叡山の中でも谷深い所に境内を構えていた為、文明2年(1470)に兵乱が続く京都の反対側である現在地に遷り「穴太真如堂」を創建しました。応仁の乱は文明9年(1477)に終結、京都の再興も進んだ為、文明16年(1484)に本尊が再び京都に戻され、残された堂宇を「宝光寺(元真如堂)」として信仰を続けました。
宝光寺本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代後期に制作されたもので像高82.0cm、玉眼、古色、大変貴重な事から明治33年(1900)に国指定重要文化財に指定されています。本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、中央には「鉄葦山」の山号額が掲げられています。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門。山号:鉄葦山。宗派:天台真盛宗。本尊:阿弥陀如来。
|