日吉東照宮(大津市坂本)概要: 日吉東照宮は滋賀県大津市坂本4丁目に鎮座している神社です。日吉東照宮は寛永11年(1634)、徳川家康の御霊を祀る為、天海大僧正が建立したのが始まりとされます。
天海大僧正は天台宗の僧侶ながら徳川家康の腹心として大きな権力を得て、江戸の町割や日光東照宮(栃木県日光市)の造営などにも影響力を効したとされ、元和9年(1623)、3代将軍徳川家光が京都に上洛した際、東照宮創建の命を受けた天海大僧正が寛永元年(1624)から社殿の造営を開始し寛永11年(1634)に竣工をもって東照大権現(徳川家康の御霊)の分霊が勧請されました。
日吉東照宮社殿は本殿(三間社入母屋造、銅瓦葺、桁行3間、梁間3間、一重、外壁は漆塗り、精緻な彫刻や組物は極彩色で彩っている)、拝殿(入母屋、銅瓦葺、桁行5間、梁間3間、一重、千鳥破風、軒唐破風向拝付、外壁は漆塗り、精緻な彫刻や組物は極彩色で彩っている)、石の間(両下造、銅瓦葺、桁行3間、梁間1間、一重、、外壁は漆塗り、精緻な彫刻や組物は極彩色で彩っている)からなる権現造りで四脚唐門と透塀により囲まれています。
現在残されてる日光東照宮の社殿に先駆けて建立された事から権現造の原型、祖形となる東照宮として注目される存在で、「関西の日光」や「西の東照宮」などの異名がありました。
天海大僧正が天台宗の高僧だった事から当初から神仏習合し、天台宗の総本山である比叡山延暦寺の末寺でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され明治9年(1876)に隣接する日吉大社(日吉大社も神仏習合し比叡山延暦寺の守護神、鎮守社でしたが、神仏分離令後に神社として独立しています。)の末社となっています。
日吉東照宮の本殿、拝殿、石の間、四脚唐門、透塀は江戸時代初期に建てられた神社社殿建築の遺構として大変貴重な存在で社殿(本殿、拝殿、石の間)が大正6年(1917)に国の特別保護建造物に昭和25年(1950)国指定重要文化財に、四脚唐門と透塀は昭和31年(1956)に国指定重要文化財にそれぞれ指定されています。祭神:徳川家康(中央)、日吉大神(右側)、 豊臣秀吉(左側)。
唐門を簡単に説明した動画
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