盛安寺(大津市坂本)概要: 端應山盛安寺は滋賀県大津市坂本1丁目に境内を構えている天台真盛宗の寺院です。盛安寺の創建は不詳ですが文明18年(1489)、杉若盛安(朝倉貞景の家臣)が真盛上人に帰依していたことで廃寺となった当寺を再興したと伝えられています。元亀2年(1571)に行われた織田信長による比叡山焼き討ちの兵火により堂宇が焼失し一時衰退しますが、新たに坂本城の城主となった明智光秀により再興されています。湖国十一面観音霊場第2番札所。びわ湖百八霊場湖西第7番札所(御詠歌:たのもしき おしえは法の 崇福寺 御名よぶ声ぞ 極楽の道)。山号:端應山。宗派:天台真盛宗。本尊:阿弥陀如来。
現在の盛安寺本堂は慶安5年(1652)に再建されたもので木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺、平入、桁行5間、張間6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、江戸時代初期の寺院本堂建築の遺構として貴重な事から大津市指定文化財に指定されています。盛安寺客殿は伏見城の遺材によって建立されたもので、木造平屋建て、南面入母屋造、北面切妻造、桟瓦葺き、平入、桁行15.8m、梁間11.9m、内部の障壁画(草花図の8面)は狩野永徳の筆、江戸時代初期の書院建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
盛安寺寺宝である十一面観音立像は平安時代(10世紀末〜11世紀初期)に彫像されたと推定されるもので像高179.1cm、桧材、一木背刳、漆箔仕上げ、康尚(定朝の父)の作風を持ち、崇福寺の所有だったとの伝承を伝える大変貴重なものとされ国指定重要文化財に指定されています。客殿に広がる枯山水の庭は客殿と共に作庭されたと推定されるもので聖衆来迎図を模した山畔を利用した枯山水の名園として貴重な事から滋賀県指定名勝に指定されています。境内周囲を囲う石垣は当地が輩出した石工技術集団である穴太衆が積んだもので、良好な町並み景観に大きく寄与しています。
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