【 菩提者 】
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近江孤篷庵は小堀遠州の菩提寺です。小堀家は近江国坂田郡小堀村(現在の滋賀県長浜市)を本拠とする土豪でしたが、戦国時代には浅井家に仕え、浅井家が没落すると新たに領主となった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の弟である羽柴秀長(後の豊臣秀長)の家臣となりました。小堀正次は秀長の家老まで上り詰めた関係で、その子供である小堀遠州(政一)も小姓として仕えました。秀長は山上宗二や、千利休といった当時一流と言われる文化人と関係が深かったことから遠州(政一)も彼らと接する機会が多く大きな影響を受けたと思われます。秀長とその養子である秀保が相次いで亡くなると遠州(政一)は豊臣秀吉の直参の家臣となり、伏見城下では古田織部に師事した事でさらなる文化的な才能を磨きました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは東軍として行動した事から小堀家は備中松山藩(岡山県高梁市)1万2千5百石に加増され、慶長9年(1604)に父親の死に伴い遠州(政一)が2代藩主に就任しています。その後は多くの城郭や寺院などの普請や庭園の作庭などの仕事に携わり名声を高め、茶人としても日本三大茶人の一人として評価を高めました。元和5年(1619)に旧領に近い近江小室藩の藩主となり、近江国奉行や伏見奉行などの要職を歴任しました。正保4年(1647)に死去、享年69歳。
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