大津市(歴史)概要: 大津市は京都や奈良と隣接した地域だった為、逸早く中央との影響を受けた地域で数多くの古墳が築造されています。大陸からの渡来人も多く当時は日本と大陸との融合した独特な文化が発達しました。天智天皇6年(667)には近江大津京が造営され遷都、大津市が日本の政治、経済の中心となりました。衣川廃寺や崇福寺、石居廃寺など次々に大規模な寺院が建立され大津京が廃された後も三井寺や石山寺などの有力寺院が創建されました。律令制の下で近江国が立国すると現在の大津市瀬田に国府が設けられ、国司には藤原武智麻呂や藤原仲麻呂、藤原種継らが歴任し国分寺も建立、一宮には建部神社が定められました。
延暦13年(794)に平安京に遷都すると大津市は北陸道、東山道(後の中山道)、東海道からの京都への関として重要視されるようになり、多くの物資や人々が集まるのと同時に戦略的な拠点にもなり度々戦乱に巻き込まれるようになりました。特に比叡山延暦寺は大津市に数多くの荘園を持ち、三井寺や本願寺と宗教的に対立、さらに戦国時代には反織田信長の一翼にになっていたこともあり全山焼き討ちにあっています。信長は坂本に重臣である明智光秀を配し、豊臣秀吉の政権下でも大津城を築き、京都への関と琵琶湖舟運の掌握に努めました。
関ヶ原の戦いでは大津城を巡り東西の攻防戦が繰り広げられ、西軍が勝利しますが、多くの将兵が足止めとなった為、本戦である関ヶ原には間に合わず西軍の敗因の一つとなりました。江戸時代に入ると東海道が整備される大津には宿駅が設置、慶長6年(1601)には膳所城を築城し膳所藩が立藩し慶安4年(1651)以降は譜代大名である本多家が7万石で領し明治維新を迎えています。
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