和田神社(大津市)概要: 和田神社は滋賀県大津市木下町に鎮座している神社です。和田神社の創建は白鳳4年(657)に勧請されたのが始まりと伝えられています。当初は琵琶湖を海に見立て、海神である「海津見わだつみの神」が祀られその湖畔である浜辺が和田浜や和田岬と呼ばれるようになったと云われています。
その後は神仏習合し元天皇社や八大龍王社、正霊天王社などと呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、境内地に隣接する和田浜から膳所藩(藩庁:膳所城)第14代藩主本多康穣の命で現在の社号である「和田神社」に改称しています。
現在の和田神社本殿は鎌倉時代に建立されたもので一間社流造、檜皮葺、桁行2間、梁間2間3尺、正面1間軒唐破風向拝付、後年何度か改修されていますが蟇股や細部は建立当時の姿をよく留めており明治35年(1902)に国宝(法改正により昭和25年:1950年に国指定重要文化財に指定。)に指定されています。拝殿は入母屋、桧皮葺、妻入、間口2間5尺、奥行3間2尺、外壁は無く柱だけの吹き放し、下がり壁は真壁造り白漆喰仕上げ。中門は切妻、銅板葺、一間一戸。
和田神社境内にあるイチョウは推定樹齢約600年、樹高約24m、目通り周囲約4.4m、古くから琵琶湖舟運の目印として信仰の対象となった巨木で、慶長5年(1600)に行われた関が原の合戦の後、捕縛された石田三成(西軍を指導者)を京都へ護送される際、このイチョウに繋がれ休息をとったとの伝承が残されています。昭和53年(1978)に「和田神社のいちょう」として大津市指定天然記念物に指定されています。
又、和田神社表門は切妻、桟瓦葺、一間一戸、高麗門、膳所藩の藩校「遵義堂」の門を移築したものと伝えられています。遵義堂は文化5年(1808)に第10代藩主本多康完により開校した藩校で、康完は儒学者である皆川淇園を召還し大きな影響を受けたと思われます。当初は手習や四書五経を中心に教育していましたが、幕末には時勢から蘭学や西洋砲術の教育を取り入れています。明治の廃藩置県後に遵義堂が廃校となり表門が和田神社の神門(神社山門)として移築したと思われますが詳細は不詳。祭神:たかおかみの神。
高麗門を簡単に説明した動画
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-大津市教育委員会
・ 現地案内板(由緒)-和田神社
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