義仲寺(大津市)概要: 朝日山義仲寺は滋賀県大津市馬場1丁目に境内を構えている単立(天台宗系)の寺院です。 案内板によると「 義仲寺の名は、源義仲を葬った塚のあるところからきていますが、室町時代末に、佐々木六角氏が建立したとの伝えがあります。門を入ると左奥に、俳聖松尾芭蕉の墓と並んで、木曽義仲の供養塔が立っています。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」という著名な句は、芭蕉の門人又玄の作です。境内にはこの句をはじめ、芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」など多くの句碑があります。また、巴御前を弔うために祭ったといわれる巴地蔵堂もあります。昭和42(1967)年11月に国指定の史跡となりました。 大津市教育委員会 」とあります。
木曽義仲は木曽源氏の頭領で、信濃国で挙兵すると倶利伽羅峠など各地で平家軍を打ち破り、京都に上洛、京都でも平家軍を一掃し朝日将軍の称号を得ています。しかし、京都で大軍を駐留させた事で食糧不足に陥り治安が悪化、さらに義仲も皇位継承問題へ介入するなど朝廷との対立を招き、義仲が西国で平家と戦っている間に源頼朝軍の侵攻を許しました。頼朝軍は源範頼・義経が率い近江国(滋賀県)まで進軍すると寿永3年(1184)1月、両軍は粟津(大津市)で激突、義仲は討死して当地に葬られ埋葬地には塚を築き、愛妾であった巴御前が草庵を設けて生涯菩提を弔ったそうです。
その後、衰退しましたが天文22年(1553)、近江守護職の佐々木高頼(近江源氏)が荒廃を哀れみ再興したとされます。松尾芭蕉は元禄3年(1690)に当寺に滞在し大変気に入ったとされ、元禄7年(1694)10月12日に大坂で死去すると、「骸は木曽塚に送るべし」との遺言に従い、亡骸は義仲の塚の隣に葬られました。その後は俳人達の聖地として信仰の対象となり数多くの俳人が当寺に参拝に訪れています。山号:朝日山。宗派:単立(天台宗系)。本尊:聖観音菩薩。
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